中屋彦十郎薬局のブログ薬日記

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旅行

「岬めぐり」の旅に出た

「岬めぐり」をしようと思い立ったのは遠くに過ぎ去った青年時代を懐かしんだせいかも
しれない。全国各地にその適地は散在しているが、やはり思い浮かぶのは三浦半島の城ヶ島
だった。しとしとと降る利休鼠の雨はそれにふさわしいに違いない。
山本コウタローらが歌うこの詞は恋人同士が行く予定だった「岬めぐり」を自分一人で
行くことになり悲しみを深く胸にしまい込み、新たに飛躍しようという力強い歌である。
多分この歌の影響があるのかもしれない。
金沢を朝早くの新幹線に乗り、目的地を目指す、東京駅から中央線に乗り換え、新宿駅で
小田急ロマンスカーに乗車し箱根湯本へ向かい、そこで宿をとることにした。
さして深い考えもなく箱根登山を思い立ち、箱根登山電車、登山ケーブル、ロープウエイを乗り継いで大涌谷までは辿りつくことができた。しかし、時間の経過とともに霧がかかってきて何も見えなくなってきたので、今回はここまでで断念して次回に期待することとした。箱根あたりは都会に近いせいか、開発が進み、便利になっている。大勢の観光客がおしよせ賑やかで、コロナ禍を感じさせないほど人が多い。街へ出てみようと思ったが感染が頭をよぎり止めることにした。こんなときだから、もちろん露天風呂付の部屋を予約しておいた。
箱根の旅館は時代を先取りしていて、加賀温泉郷とは違い個人客向けに内装は改造されているようだった。部屋の広さも個人客用になっており、食事処も間仕切りが設えられ時期に合った造りになっている。これらの設備のおかげでゆっくりと寛ぐことができた。
翌日は一番早い時間に食事をとり、予定の三浦海岸を目指し、小田原を経由して京急三崎口駅に着く。簡単な食事を済ませ城ヶ島行きのバスを待つことにした。
バスの中は名物のマグロを食べに行く人たちが一杯でウルサイほどの賑やかさだ。
私は城ヶ島大橋のたもとにある北原白秋の「城ヶ島の雨」の歌碑を訪ねるのが目的だった。
バスを下りてあっちこっち訪ねて探しあてることができた。城ヶ島の磯は中学生の頃から来たかった場所である。
案の定、その歌碑は訪ねる人もいないようで悄然と建っていた。
「雨はふるふる 城ヶ島の磯に 利休鼠の 雨がふる・・・・」と刻まれている。
その日は10月にしては汗ばむほどの天気で、空は真っ青に晴れ渡っていてまだ夏かと
感じるほどである。
白秋は小田原近辺には一番長く住んでいたらしい。近くにある白秋記念館を訪ねたが
黴臭いすえた匂いが充満していて「ごゆつくりご覧ください」という案内人の声も
何かしら物憂げで、全体がうら寂しいものに感じられた。
実は福岡県柳川市を旅して、白秋生家に隣接した記念館も訪ねたことがある。柳川は掘割が全市に張り巡らされた水郷の街である。福永武彦の小説「廃市」では主人公の大学生が卒論作成のために静かな環境のこの町を訪れる。たまたま遭遇した下宿先の人達の人生模様を題材にして、その家の主人公が愛人とともに心中するという内容の小説である。美しい水郷の景色を背景にして叙情的に描かれている。学生は下宿先の人達とからみあうようでいて、何もなかったかのように一人この町を後にする。柳川には水郷の美しさとすべてを忘れさせるような静寂感がある。
城ヶ島「岬めぐり」の帰りのバスはマグロを食べて満足した幸せそうな人たちでやかましく、この辺りにしかいないような轟音をあげて追い越してゆく車に私は一層の疎外感を覚えた。
白秋が金沢で二,三年も生活していたなら、立派な記念館が造られていて、文豪にふさわしい待遇をうけただろうにと考えた。金沢はそんな事をする町である。

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天才作家・島田清次郎の文学碑を訪ねた

島田清次郎の文学碑を訪ねたのは未だ寒さが残る4月の晴れた日だった。
青空を筆で引いたような雲が細くかかっていた。
その碑は手取川の河口近くの美川大橋のたもとにひっそりと設えられていた。
当地のライオンズクラブの有志が建立したものらしい。正確には島田清次郎の生誕地の碑ということである。石川県美川町(現在は白山市)の南町にあるというので、美川へ着いて田圃仕事のお百姓に尋ねてもわからない、あっちこっち商店を回って「島田清次郎の記念館か文学碑はありませんか」と聞いてまわったが知っている人はおらず、「石川県発祥の記念館」なら知っているか、この中にでもないかと思って尋ねたら高い入館料であほらしくて入る気もせず、職員に聞いてみたがこの館内のことしか知らないというつれない返事だった。
更に南町へ戻ると「島清」という魚屋があり、名前が同じなのでひょっとしてと考え聞いてみると丁寧に教えてくれた。
後になって気付いたことだが清次郎の生誕記念碑はこの石川県ルーツ館のすぐ後ろにあった。
かって、美川の町長だった竹内信孝氏が音頭をとって「島清恋愛文学賞」を設立された。
何回か回を重ね多くの文学賞の受賞者を生んで全国的にも有名になった。
竹内氏は文学賞の設置にあたり、川筋者の気概を示すといっていたのが今でも懐かしく思いだされる。この美川町の会館で私は高校生の頃に見た映画「地上」を見ることができた。
当時既に主演の川口浩さんは亡くなっていたが彼の妻であり主演女優の野添ひとみさんの講演も聞くことができた。夫川口浩さんを癌でなくし、癌撲滅のため全国を行脚しているという話だったが、奇しくも彼女も癌で亡くなった。人生の無常を感じざるを得ない。
全国各地の文学碑は訪ね歩いたが、大正時代に50万部の大ベストセラーになった小説「地上」を書いた天才作家の碑にしてはうら寂しいものだった。
川面を流れるひゅうひゅうという風の音と浜辺に打ち寄せる白波が一層悲しさを増した。世の中に挑戦し続けた川筋もん「島田清次郎」の心意気にいずれは日の当たる時が来てほしいと念じつつその場を後にした。
人ずてに、文学碑は美川の墓地公園にもあるというので後日さらに訪ねてみた。
この文学碑も探すのに苦労した。設置場所は今一だったがなかなか立派なものだった。これだけの観光資源を作っておきながら町民に周知していないのはいかがなものだろうか。
島清恋愛文学賞は現在は金沢学院大学が受け継いで引き続き管理運営している。これらを考えると美川町は文学の香り高い金沢市との合併を目指すべきではなかったのか。
帰りに当地の料亭へ寄って名物の「いさざ料理」を食べようと訪ねてみたが、「今はやっていません」という返事で「他に食べさせるところはないか」と尋ねても「ないでしょう」という気のない返答でこれにも参ってしまった。
帰り道に考えた。美川町は町村合併で格を落とした気がしたが、似合いの合併でそれでよかったかなあという考えが頭をよぎった。
これは蛇足だが、島田清次郎の記念館は金沢市の西茶屋街の中にある。

P1000754島田清次郎の文学碑

P1000751島田清次郎生誕の地
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