地元の大学を卒業し、仕事や生活も金沢でしている。
こんな人達は人一倍ふるさと愛や自慢が強い。県外人が聞くと、もう結構という具合である。
金沢市は現在、人口が46万人。私達の若いころは30万人だから、余り発展してきた都市ではない。戦災や震災、災害が少なかったせいで、江戸時代の区割りを拡幅して町割りがなされている。
昔からの街並みや建物も多く残っている。加賀藩と言って前田家100万石の城下町だった。能楽や茶道、華道、その他の習い事が盛んに行われている。
昭和30年代は全国都市規模で20位だったが、今は35位となっている。相対的には下落したといってもいいだろう。
新幹線が開通する前は取り残された町という印象だった、
都市計画を実行するにしても、過去の街並みが邪魔になって抜本的なことができない。
空地ができると、そこに近代的なハコ物を作ったりしているが、都市のあるべき姿を追求していないので、ボコンボコンと立てているので一貫性がない。
それが、逆に失敗を強く印象づけている。特に、バブル頃の感覚で県庁、合同庁舎、工場などを郊外に移転して、ドーナツの輪を作ったが中心部が空洞化してしまい、街に活気がなく、中心部は片町(中心部の町名)村と言われるほどになってしまった。バブルがはじけ人口減少が進んだ結果、まちなかは急速に廃れていった。
旧県庁跡に残されている建物などは類似の建造物が全国各地にあり、保存性はない。ここに、賑わいや集客のある県立図書館を移転すべきだった。金沢大学工学部跡地に持っていったのも大失敗である。合同庁舎を新神田に建設して、都市問題の専門家から問題外と言われたのを、時間が経ったせいで忘れたのか。また、失敗してしまった。私は以前から工学部跡地には医療センター(旧国立病院)を移転すべきと主張していた。もともと、医療センターは加賀藩家老奥村家の屋敷跡にある。ここには家老屋敷を復元すべきではなかったのか。
城跡や兼六園は保存されており、隣接して家老屋敷も建設すれは歴史性からいっても整然としてくる。
戦前、金沢市は軍都として、戦後は学術文化都市として発展してきた歴史がある。私達が体験した学生生活は香林坊や片町の歓楽街に近く、喧噪と雑踏、映画館あり、多種多様な飲食店が雑然と並び、神社周辺の香具師の店、妖しげな催事、猥雑性、人込み、雑然性、機能性や華やかさが入り混じって街それ自体が魅力的だった。毎日が楽しく超然主義も生まれた。
今の金沢のまちなかに学術文化の香りも都市の魅力もない、あるのは美術、工芸などの職人文化である。
金沢大学も郊外へ移転させ、ドーナツの輪にしてしまった。
最近では金沢市への年間観光客数は1,000万人を超え、幹線道路沿いにはホテルが
立ち並びまさに宿場町の様相を呈してきた。新幹線が開通すればストロー現象で東京に
吸い寄せられ金沢は衰退してしまうと言われたが、結果は逆になってしまった。
まちなかの居酒屋もふらっと入ると客で一杯である。馴染みの店主は「予約してありますか」
という。金沢にはふらっとバスが走っている。「ふらっと寄るのは金沢の文化だ」と言い返す。
金沢城内には菱櫓、五十間長屋、橋爪門、橋爪門続櫓と復元された。鼠多門橋、鼠多門櫓、玉泉院丸庭園も再現された。河北門をくぐれば教養部校舎があつた新丸広場を望むことができる。変わらないのは天守閣跡の植物園と三十間長屋のみだろうか。
最近の金沢大学の応募者を見ると何かしら定員割れに近い状態が感じられるが、これから先、学生数の減少の傾向のなかでどうなるのか。余計なことを心配してしまった。
金沢のまちなかには金沢城公園、兼六園があり、他に21世紀美術館、県立美術館、県立歴史博物館、国立工芸館、中村記念美術館、鈴木大拙館など文化施設が集積している。
県庁跡地に新神田に移転させた合同庁舎と駅西合同庁舎を呼び寄せ、金沢の霞が関を造成
するとういうのはどうだろう。合同庁舎が三棟並び賑やかさが復活するのではないか。
金沢駅からも近いアクセスとあいまってこれらは金沢市のランドマークとなり得る。
それと同時に、最後に残された空前絶後の企画がある。
歴史性から言っても、金沢市はやはり学術文化都市をめざすべきではないか。
それには、金沢駅の真ん前、金沢駅前にある空地、都ホテルの跡に大学を建設する。
ここに、高層ビルを建設し金沢大学教養部を移転する。
いわゆる大学町の建設を金沢市は目指すべきではないだろうか。
あの土地はそれにふさわしい場所である。
新幹線沿線から学生を集めることができる金沢駅前にある空地、都ホテルの跡は適地でないか。大宮、長野、富山、福井地区からは二時間以内に着く便利さである。
金沢駅を降りれば目の前に大学がある。圧倒的な迫力で迫ってくる。
学生達にとっても自慢のできる大学になり、誇らしい気持ちになるだろう。
これこそ、金沢の都市格を高める最も適切な方法ではないだろうか。東京でもない京都でもない金沢ならではの街造りができる最後のチャンスかもしれない。周辺は買物にも便利であり、近江町にも近い。映画館あり、飲食店あり、それなりの歓楽性もある。受験生や学生にも人気が高まり、倍率も急上昇するかもしれない。
専門課程に入れば、じっくりと山の上で勉強すればいい。
新幹線金沢駅の目の前にある大学。大学も都市の盛衰とは無縁とはいえないのではないか。
大学こそ金沢市の都市格を高め、かつ最後に残された最大の目玉施設といえるのではないか。一方、金沢大学にとっても今のままで推移すれば学生の定員割れが続き、縮小するか
統合、合併の道を嫌でも選択せざるを得ない状況となってくるだろう。
仮に、合併という状況になっても金沢駅前に教養部があればイニシアチブを取れるかもしれない。
この課題は石川県、金沢市、金沢大学の三者が議論し協力しなければ解決つかないかもしれない。口火をきるのは金沢大学ではないだろうか。
そんなことを考える今日この頃である。
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