中屋彦十郎薬局のブログ薬日記

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2022年10月

金沢市能楽美術館へ行ってきた

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能楽美術館ってご存じですか
金沢市には能楽美術館がある。多分全国でもこの手の美術館がある県は
ないのではないか。
その施設は当薬舗から兼六園に向かって歩いていくと、約5分位のところ、
21世紀美術館の手前にある。
「秘すれば花」と言われる能の世界。室町時代に世阿弥は世話物の猿楽を
発展させ、武家社会に深く入り込んで、夢幻能から幽玄の芸能として芸術性
を高めた。古典文学を題材にして高い格調性を伴っており、各派が競合する
中で幕末まで広く武士の教養としてたしなまれてきた。
金沢では宝生流が主流となり加賀宝生とも呼ばれるようになった。
加賀藩前田家が推奨したこともあって、武家の間では必修の科目として、
町人の間でも教養を高める習い事として広く定着していった。
一時は「謡がふる街」といわれるほど、一般人にも広く伝播されていた。
私も学生時代から社会人にかけて6年間位習ったことがある、当時、京都
での発表会にまで参加したくらいだからそれなりに練習していたに違いない。
面白いというよりは金沢人の教養かなというぐらいに考えていた。
今回、美術館を訪ねてみようと思ったのは加賀宝生のなかでひと際輝く
中野家に関する資料展示が行われているということを耳にしたからである。
明治になってからも政財界や地元金沢の経済人の間でも謡は広まり、
紳士がたしなむ能楽として発展していったのである。実業家のなかには
能装束や能面などを自ら所蔵し、奥義を極めようとした人達も出てきた。
中野武営や長男岩太らはその一角をなした人で、金沢の能楽文化にも
甚大な功績をし、大きな足跡を残したといっても過言ではない。
一時期にはあの美貌の歌人・柳原白蓮(NHKの朝ドラにも取り上げられた)
が親しく身を寄せていたこともあるくらいに隆盛を極めた家柄でもある。
この中野家の所蔵品の展示会が令和4年11月13日(日)まで能楽美術館
において開催されている。
ぜひ、この機会に数々の貴重な展示品を鑑賞してもらいたいものである。
これは余談であるが、市川崑監督・映画「天河伝説殺人事件」はあの吉野
の天川村を舞台にして歴史と伝統ある能楽一家の頂点に立つ家元をめぐる
激しい争いが主軸。有名女優岸恵子の演技、俳優榎木孝明の名探偵や活躍
と相まって秀作のできとなっている。
薬草トリカブトを煎じ詰めて、能面の裏にそれを塗り、その塗りつけられた
トリカブトエキスを能役者が舐めて死に至るというストーリーである。
トリカブトはアコニチン・アルカロイドが主成分で生薬名を附子(ぶし)
といい、昔は塩漬けにして塩附子(えんぶし)、焙じて炮附子
(ほうぶし)として利用された。現在は加工ブシ末として販売もされている
が現植物のヤマトリカブトは毒草である。

「岬めぐり」の旅に出た

「岬めぐり」をしようと思い立ったのは遠くに過ぎ去った青年時代を懐かしんだせいかも
しれない。全国各地にその適地は散在しているが、やはり思い浮かぶのは三浦半島の城ヶ島
だった。しとしとと降る利休鼠の雨はそれにふさわしいに違いない。
山本コウタローらが歌うこの詞は恋人同士が行く予定だった「岬めぐり」を自分一人で
行くことになり悲しみを深く胸にしまい込み、新たに飛躍しようという力強い歌である。
多分この歌の影響があるのかもしれない。
金沢を朝早くの新幹線に乗り、目的地を目指す、東京駅から中央線に乗り換え、新宿駅で
小田急ロマンスカーに乗車し箱根湯本へ向かい、そこで宿をとることにした。
さして深い考えもなく箱根登山を思い立ち、箱根登山電車、登山ケーブル、ロープウエイを乗り継いで大涌谷までは辿りつくことができた。しかし、時間の経過とともに霧がかかってきて何も見えなくなってきたので、今回はここまでで断念して次回に期待することとした。箱根あたりは都会に近いせいか、開発が進み、便利になっている。大勢の観光客がおしよせ賑やかで、コロナ禍を感じさせないほど人が多い。街へ出てみようと思ったが感染が頭をよぎり止めることにした。こんなときだから、もちろん露天風呂付の部屋を予約しておいた。
箱根の旅館は時代を先取りしていて、加賀温泉郷とは違い個人客向けに内装は改造されているようだった。部屋の広さも個人客用になっており、食事処も間仕切りが設えられ時期に合った造りになっている。これらの設備のおかげでゆっくりと寛ぐことができた。
翌日は一番早い時間に食事をとり、予定の三浦海岸を目指し、小田原を経由して京急三崎口駅に着く。簡単な食事を済ませ城ヶ島行きのバスを待つことにした。
バスの中は名物のマグロを食べに行く人たちが一杯でウルサイほどの賑やかさだ。
私は城ヶ島大橋のたもとにある北原白秋の「城ヶ島の雨」の歌碑を訪ねるのが目的だった。
バスを下りてあっちこっち訪ねて探しあてることができた。城ヶ島の磯は中学生の頃から来たかった場所である。
案の定、その歌碑は訪ねる人もいないようで悄然と建っていた。
「雨はふるふる 城ヶ島の磯に 利休鼠の 雨がふる・・・・」と刻まれている。
その日は10月にしては汗ばむほどの天気で、空は真っ青に晴れ渡っていてまだ夏かと
感じるほどである。
白秋は小田原近辺には一番長く住んでいたらしい。近くにある白秋記念館を訪ねたが
黴臭いすえた匂いが充満していて「ごゆつくりご覧ください」という案内人の声も
何かしら物憂げで、全体がうら寂しいものに感じられた。
実は福岡県柳川市を旅して、白秋生家に隣接した記念館も訪ねたことがある。柳川は掘割が全市に張り巡らされた水郷の街である。福永武彦の小説「廃市」では主人公の大学生が卒論作成のために静かな環境のこの町を訪れる。たまたま遭遇した下宿先の人達の人生模様を題材にして、その家の主人公が愛人とともに心中するという内容の小説である。美しい水郷の景色を背景にして叙情的に描かれている。学生は下宿先の人達とからみあうようでいて、何もなかったかのように一人この町を後にする。柳川には水郷の美しさとすべてを忘れさせるような静寂感がある。
城ヶ島「岬めぐり」の帰りのバスはマグロを食べて満足した幸せそうな人たちでやかましく、この辺りにしかいないような轟音をあげて追い越してゆく車に私は一層の疎外感を覚えた。
白秋が金沢で二,三年も生活していたなら、立派な記念館が造られていて、文豪にふさわしい待遇をうけただろうにと考えた。金沢はそんな事をする町である。

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