島田清次郎の文学碑を訪ねたのは未だ寒さが残る4月の晴れた日だった。
青空を筆で引いたような雲が細くかかっていた。
その碑は手取川の河口近くの美川大橋のたもとにひっそりと設えられていた。
当地のライオンズクラブの有志が建立したものらしい。正確には島田清次郎の生誕地の碑ということである。石川県美川町(現在は白山市)の南町にあるというので、美川へ着いて田圃仕事のお百姓に尋ねてもわからない、あっちこっち商店を回って「島田清次郎の記念館か文学碑はありませんか」と聞いてまわったが知っている人はおらず、「石川県発祥の記念館」なら知っているか、この中にでもないかと思って尋ねたら高い入館料であほらしくて入る気もせず、職員に聞いてみたがこの館内のことしか知らないというつれない返事だった。
更に南町へ戻ると「島清」という魚屋があり、名前が同じなのでひょっとしてと考え聞いてみると丁寧に教えてくれた。
後になって気付いたことだが清次郎の生誕記念碑はこの石川県ルーツ館のすぐ後ろにあった。
かって、美川の町長だった竹内信孝氏が音頭をとって「島清恋愛文学賞」を設立された。
何回か回を重ね多くの文学賞の受賞者を生んで全国的にも有名になった。
竹内氏は文学賞の設置にあたり、川筋者の気概を示すといっていたのが今でも懐かしく思いだされる。この美川町の会館で私は高校生の頃に見た映画「地上」を見ることができた。
当時既に主演の川口浩さんは亡くなっていたが彼の妻であり主演女優の野添ひとみさんの講演も聞くことができた。夫川口浩さんを癌でなくし、癌撲滅のため全国を行脚しているという話だったが、奇しくも彼女も癌で亡くなった。人生の無常を感じざるを得ない。
全国各地の文学碑は訪ね歩いたが、大正時代に50万部の大ベストセラーになった小説「地上」を書いた天才作家の碑にしてはうら寂しいものだった。
川面を流れるひゅうひゅうという風の音と浜辺に打ち寄せる白波が一層悲しさを増した。世の中に挑戦し続けた川筋もん「島田清次郎」の心意気にいずれは日の当たる時が来てほしいと念じつつその場を後にした。
人ずてに、文学碑は美川の墓地公園にもあるというので後日さらに訪ねてみた。
この文学碑も探すのに苦労した。設置場所は今一だったがなかなか立派なものだった。これだけの観光資源を作っておきながら町民に周知していないのはいかがなものだろうか。
島清恋愛文学賞は現在は金沢学院大学が受け継いで引き続き管理運営している。これらを考えると美川町は文学の香り高い金沢市との合併を目指すべきではなかったのか。
帰りに当地の料亭へ寄って名物の「いさざ料理」を食べようと訪ねてみたが、「今はやっていません」という返事で「他に食べさせるところはないか」と尋ねても「ないでしょう」という気のない返答でこれにも参ってしまった。
帰り道に考えた。美川町は町村合併で格を落とした気がしたが、似合いの合併でそれでよかったかなあという考えが頭をよぎった。
これは蛇足だが、島田清次郎の記念館は金沢市の西茶屋街の中にある。

P1000754島田清次郎の文学碑

P1000751島田清次郎生誕の地